プロフィール

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自己紹介

 

丸田 登美
1962年2月27日生まれ
熊本生まれの熊本育ち

 

小さい時から、
・人見知り ・虚弱体質 ・運動オンチ
という三重苦を抱え、
これでは生きて行くのに支障がある!
と一念奮起して、19歳の時に太極拳を始めた。

 

 

虚弱体質だった頃

 

 

なぜ、太極拳を選んだのかというと、
運動神経も体力もほぼゼロに近く、
スポーツは、どれも絶対についていけない
という自信があり、太極拳は、
お年寄りでもやってらっしゃるし、「よし、これなら出来る!」
と思い、中国武術研究会の門を叩いた。

 

もともと、目に見えない
氣功の世界に興味があったので

それからは、熱中してどんどん型を覚え、
インストラクターとして先生のお手伝いをするようになった。

 

 

 

その後、結婚を期に、今までの全部を捨て
自分のやりたかったことを、全部封印し、
夫の家業に従事する、という期間を
子育てと共に過ごした。

 

「このままでは生きている気が
全然しないんですけど!」

 

という、心からの叫び、
それから、夫の
保証人倒れに会う、という不祥事があり、
なんでこうなっちゃったの?
という絶望感、どん底の生活。

 

「なぜ、私ばかりこんな目に会うの?
みんなの為にこんなに我慢しているのに…」

 

その時は、我慢をするのが良い事だと
思っていたので
なるべく自己主張をせず、
周りの期待どおりに、ただ言われるままに生きていた。

 

でも、状況は悪化するばかり、
幸福感も全然なく、
人を羨む自分が情けなくて…

 

そして、そこから学んだ事は
自己犠牲では、幸せは来ないという事だった。

 

まずは、私自身が幸せになる事
それが、家族のためでもあるのだという事に気付き
やっと、自分の得意な事で
自分を生かして仕事をして稼ぐ、
ということに目覚めたのだ。

 

その後、
足踏み整体の治療院の先生に弟子入りし、
3年間店長を務め、実績を積んだ。

 

ほとんどの時間を仕事と訓練に当て
家族の食事の支度も、ままならない状態の中、
不思議とみんなが協力してくれた。

 

2009年に独立開業し、氣功法を取り入れた独自の
「足心氣功」を考案し、
現在、熊本市内のサロン
「七色のちゃくら」にて施術を行っている。

 

独立後、NPO法人を立ち上げた。

 

女性が担っている沢山の役割の中で、
自分を殺して生きるのではなく
それぞれの才能を生かし、効率よく働き、

 

家庭も大事にしながら、もっと、自分らしく
自分の人生を、幸せに生きる方法を
伝えて行きたいと思ったからだ。

 

現在は、
・サロンでの施術
・生徒さんに足心氣功を教えるスクール事業、
・NPO法人を通しての活動
の、三本立てで仕事を展開している。

 

自分の体験を通して得て来たものを
後に続く人達のために
役立てられるといいな、願っている。

 

現在、みんなが楽しんで成長できる
スクール形式のコミュニティーを作り
私がいなくなっても、継続していく
仕組みづくりを構築中である。

 

サロンを開業するまでの経緯

独立開業するまでの経緯

 

 

もともと私は、自分で何かを始めるとか
ひとりでどんどんバリバリやるタイプでは全くなかった。

 

ひっそりと目立たない方が良かったので
夫のサポートや、誰かのお手伝いくらいで丁度良かった。

 

そして、結婚したての頃はやはり夫に頼っていた。
家業もあったため、私はサポート役に徹することができた。

 

が、しかし
運命のいたずらか、夫が大きな借金を背負うことになった。
保証人倒れによるものだった。

 

それで私は、じゃんじゃん働かざるを得なくなった。

 

それから洋服関係の仕事でしばらくお勤めに出たが
ノルマに追われる毎日に疲れ、整体の仕事に転向した。

 

足で踏んで全身のコリをほぐすという
少し変わった治療法の先生の所で
スタッフとして入った。雇われたのである。

 

 

もともと太極拳氣功などはずっと前からやっていたので
体の不思議にはとても興味があった。

 

そこの先生は、年配のおじいちゃん先生だったが
体を見るだけで色々なことを言い当てていたし
ちょっと揺らすだけで痛みを取っていたり、
びっくりするような事をやってのける不思議なお方だった。

 

 

そこで色々な事を学ばせてもらった。
仕事というよりも体を使った実験をしているようで
とても興味深く、面白かった。

 

でも私は、そこでも先生のお手伝いで良いと思っていたし
自分が独立とかしてバリバリ頑張って行こうなどとは
ちっとも思わなかった。
ただ、本当にいい仕事なので広まればいいなぁとは思っていた。

 

 

先生の腕は、確かに秀逸だったのだが
昔かたぎの頑固な先生だったので、なかなか人が育たなかった。
スタッフが定着せず、経営もあまりお上手ではなかったので
店舗経営自体が危ぶまれる状況になっていった。

 

 

そこでも私は、自分の意思とは関わらず
お店の経営不振で仕事を辞める羽目になったのだ。

 

ドン!と後ろから押されるようにして自分で店を始める事になった。

 

 

その頃は、もう店長として3年くらい働いていたので
技術はしっかり身についていた
経営の事もある程度わかっていたので
もう、どこかに雇われて働く、という選択肢は全く無かった。

 

 

どこか狭い所でも良いから店舗を借りて
自分ひとりでやっていく自信は結構あった。

 

しかし、店舗を借りるとなると相当な資金がかかる。
そんな資金などどこにも無い。

 

それで私は、自宅から歩いて通えるくらいの所に
1DKのアパートを探した。
一部屋あれば充分である。

 

内装はちょっと小ジャレた感じになるように
アジアンチックに飾り、鏡やらを置いて
お茶が飲めるカウンターテーブルと椅子を買った。

 

 

あと必要なのは、施術用の布団と滑り止め、タビカバー
それだけである。
資金もなく協力者もなく、たったひとりで
開業と言っても本当に地味な、ひっそりとしたものだった。

 

 

 

お客さんも、これまでの方を連れて来るわけにはいかなかったので
また一から始めることになる。
チラシも名刺も手作りで、ホームページも自分で作った。

 

何の根拠も無かったけれど、お客さんはきっと増えると
確信していたので、毎日の作業もとても楽しく充実していた。

 

 

これが私の開業はじめである。

治療院に勤めていたころの話

 

治療院に勤めていた時の話

 

 

結局かの治療院には3年ほどお世話になった。
さっきから言っているように技術はピカイチだったが
昔かたぎの頑固な先生だった。

 

何かに秀でていて「先生」と呼ばれる人は
なかなかに気難しいところがあると言えよう。

 

腕がいいのと経営とはまた別の話で、
いい人材が入ってきても全く定着せず

 

県外に無鉄砲に広げようとされたので
とうとう資金もショートして
お店の経営は成り立たなくなったのだ。
そんなに儲け方もお上手なほうでは無かったし…

 

 

それでも、本当に不思議な事がわかる先生で

 

あっという間に痛みを取ったり
見なくてもいろんな事を言い当てたりしていたので
遠くから飛行機を使って来られるお客さんもいたし
さまざまなメディアからも取り上げられた。

 

いつも来ていた学生さんに手を触れずに引っ張ったり押したり
催眠術のような事もして遊んでいた。

 

 

私は不思議な事が大好きなので
毎日が楽しくて仕方がなかった。

 

 

私も、氣功をしていたので少しなら波動を感じることもできた。
やはり、お客さんもそれなりに不思議な人が集まるもので
波動計のような物を持って来られる方もいて
その機械からどのような角度でエネルギーが出ているかなどを
先生はピタリと言い当てていたので本当にすごい人だなぁ、と感心していた。

 

足で踏むマッサージの技術も素晴らしかった。

 

 

全身を踏まれたあとは体全体がジーンとして
ふわふわ宙に浮いているような感じだった。

 

 

この先生の足を持って帰れたら
どんなに良いかと思ったものだ。

 

 

私が入った時は前の店長さんが辞める時だったので
(人が続かないのだ)
仕事を覚えたら即、お客さんに入らなくてはいけなかったので
相当、真剣に丁寧に教えてもらった。

 

 

当時、外弟子さんと言われる人たちが
足踏みのマッサージの技術を習いに来られていた。

 

後で分かったのだが
私は内弟子という形で入ったらしく

 

外弟子さん達はお金を払って教えてもらいに来ていたのだが
私は、お給料をもらいながら技術を教えてもらっていたわけで
かなり優遇された立場であったようだ。

 

しかし、私はスタッフという形で雇ってもらったと思っていたので
内弟子の扱いには驚いた。

 

ほとんどの時間を練習と、お客さんと、先生の世話
外弟子さん達の世話と、また練習

 

と、全然自分の休む時間はなく、休日出勤も当たり前で
時間外労働当たり前で
家の近くであったのにも関わらず、帰宅は遅くなる毎日だった。

 

 

子供達もまだ中学生、高校生の食べ盛りだったのだが
夕食の支度も出来ない日が続き
ご飯だけは交代で仕込んでもらって
おかずは帰りにスーパーで出来合いのものを買って帰る事が多かった。

 

休日返上も多かったのでホトホト疲れる毎日だった。

 

それなのに、私が疲れてもう仕事を辞めたいと弱音を吐く事があっても
家族はみんな、辞めない方が良いと言った。

 

家で練習台に家族を踏んでいたこともあり
こんなに良い仕事だから、もう少し頑張って

 

少しでも技術を身につけた方がいいよ、と言うのだ。

 

それも夫だけでなく、子供達からも言われた。

 

 

そんな家族の応援もあって
ちゃんと自信を持って出来るくらい技術を身につける事ができた。

 

ものすごく苦しくて、でも、すごく楽しくて

 

私の人生の中で最も濃ゆい3年間だった。

 

 

 

この3年間の修行のおかげで今の私はある、と言える。

 

 

 


 
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