遊ぶように仕事をして圧倒的に自由に生きる

魂が喜ぶように生きる

魂は自由が好きだ

 

だからみんな、本当は自由が好きなのだ。

 

 

けれども、忘れてしまっている。
自分が自由が好きだってことも…

 

 

だいたい、殻を作っているのも
鎖でつないでいるのも、自分である。

 

 

夫や親が自由を奪っているかのように錯覚をしているが

 

本当は、自分が決めているのである。

 

 

 

本当は、周りではなく自分自身がそうしているのに
なかなか気がつかない。

 

 

自分がしたい事、思っている事も
なかなか口に出して言ってなかったりする。

 

どうせ無理だろう、自分には出来ない事だ、
と勝手に決めつけてはいないだろうか?

 

 

 

案外、自分が思っているほど
誰もがんじがらめに縛ったりしていない。
実際鎖で繋がれているわけではないのだから
どこにでも自由に行けるのではないか?

 

 

こうしたら、何か言われるのではないか、
こういう風に思われるのではないか、と
先走った考えで自分の行動を止めているのではないだろうか。

 

 

何か言いたい人には言わせておけば良いのである。
人にどう思われようが、関係ないもん!と思っておけば
いいだけの話である

 

要は、自分が何とか思われるのが怖いから
出来ないだけなのである。

 

 

 

私たちは、幸せになるために生まれてきた
前もお話ししたけど、楽をするためではない。

 

楽が楽しいかというと、そうではない。
人の為になることをして、
私たちは幸せを感じるように出来ている。

 

 

少々の苦労は何でもない。

喜ばれたり感謝されると魂が嬉しいと思う
のである。

 

無償の愛だ。

 

無償の愛を感じて、感動することが何より幸せなのである。

 

 

 

無償の愛とは、見返りを期待しない愛である。

 

 

何かをしてあげて、思ったほど感謝されないからと言って
腹をたてるのは、無償の愛とは言えない。
それは、エゴである。

 

 

愛する人を自分のそばに置いておきたいと思うのも
エゴである。
それは、自分のためだから。

 

 

自分が寂しいから、ずっとそばにいてほしい
自分が心配だから、どこにも行かないでほしい

 

 

無償の愛とは、その人がどこにいようが誰といようが
いつも元気で頑張っていてほしい、

 

思いきり好きなことをして、いつも笑顔でいてね、
私は、いつも応援しているよ。
疲れて休みたくなった時は、いつでも戻っておいでね。

 

と、思えるような愛が無償の愛だと思う。

 

 

 

そこに相手に対する期待はひとつも無い。

 

ただ、相手の幸せだけを願う。
そういう愛は、自分も幸せにする。

 

 

気持ちがあったかくて、落ち着いてくる。
そういう波動は幸せな現象を引き寄せる。

 

 

 

母親が子供に対する愛情とは
元来そういうものではないかと思う。

 

 

私の所に、生まれて来てくれただけで、
ものすごく幸せだと思った。
神様からもらった宝物だと思った。

 

 

けどね、だんだん成長して色々なことが出来るようになると
期待してしまうんだな

 

もう少し、こうだったらいいのにね、とか
もうちょっと、どうにかならないもんかね、とか

 

 

都合のいいように期待してしまうものだ。親って。

 

 

親子の無償の愛は、もう結構いい線いってるかな、と思うけど
夫婦になると、なかなか手強い。
ずっと修行だ。

 

思うようにいかない。

 

 

 

だから勉強してる。
生きていくのって、ずっと勉強だ。

 

 

魂があったかくなるように、魂が喜ぶように

 

生きていきたいものだ。

 

 

 

 

 

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ありがたい毎日

朝から目が覚めて、今日は仕事がいっぱいある、
と思った日はありがたいと思う。
やる事がいっぱいある。

 

今日会う人のお顔を思い浮かべて嬉しくなる。
今日の自分のやるべき仕事がいっぱいあるというのは、ありがたい事だ。

 

 

 

朝から、今日は仕事の予定が入っていなくて
時間がいっぱいある、と思って目が覚めた日は、

 

やっぱりありがたいと思う。
今日一日、何をして遊ぼうかと考える。
自由な時間がいっぱいあるという事は、ありがたい事だ。

 

 

 

どちらにしても、今、私は
毎日ありがたいと思って目が覚める。

 

 

 

朝からありがたいなぁ、と思って眼が覚めると
一日中ありがたい。
おめでたい人だと思われるかもしれないが
要は気の持ちようである。

 

 

誰でも夢のような
ありがたい日常を送ることはできる。

 

 

 

こんなに落ち着いた気持ちになれたのはいつからだろうか?

 

 

 

思えば、以前は不満だらけであった。
自分だけが一番不幸な気がして仕方がなかった。

 

道ですれ違う人さえ、皆、楽しそうで
誰も悩みなんてないんだろうなぁ、と羨ましく見えた。
私の立場と入れ替わってもらえたらどんなにいいかと思ったりした。

 

 

その時は、自分の人生を生きていなかったような気がする。
自分で決めれる事は何もなく、ただ人に委ねて
言われるがままに生きていたように思う。

 

その方が楽だと思っていたからだ。
というか、それしか出来なかったのかも知れない。

 

 

自分に責任が来ないように人に決めてもらっていた。
不服はあっても、それも仕方がない事だと思っていた。

 

 

「自分で決めずに人に委ねる」という事を
自分が決めていたから、そうなったのだけど

 

そんな事は全く分からなかったので、
完全に自分は被害者だと思っていた。

 

 

 

他者責任で自分は被害者だと思っているうちは
幸せはとうてい感じられない。

 

 

 

自分の人生は自分が作っている。
周りの誰でもない、自分が作っている。

 

全部自分が作っているのだ。

 

 

 

その事に早く気がつけば良かったと思う。

 

今は全部自己責任で決めている。
たとえ予想通りに行かなくても全然平気だ。

 

 

 

自分が現実を作っているという事は、自分の理想とする状態にも
自分で作り上げていくことができる、という事だ。

 

 

 

それから、たくさん本を読んで勉強した。
宇宙の法則というものを理解したかったからだ。

 

人間の思考というのがどう影響しているのかとか、
決まった法則があるらしいという事は薄々感じていた。

 

 

昔の人たちはすごいよね、と思った。
最古の帝王学、易経なども究極の人間学
生き方の指南書だ。
何千年も前に書かれた古典書である。

 

 

引き寄せの法則の本も良く読んだ。
波動が共鳴して現象も引き寄せているらしい。
よくあんな事が分かったものだと思う。

 

 

 

思考が現象を引き起こしている。

 

 

現実は思考が作っているというわけだが、
それも感情が先なのである。

 

 

幸せだなぁ、豊かだなぁ、という
落ち着いた暖かい気持ちが、心地よい良い波動となって
心地よい現象を引き寄せてくる。

 

 

だから、こうなりますように。とか
こうなったら私は幸せなのに…
と思っているうちは、
「まだ足りない」という感情を発している事になる。

 

 

まだ足りない、もっと良くなりたい、
という貪欲な気持ちも時には必要だとも思うが

 

波動は、そういう波動ではなく
ホンワカとした満ち足りている波動を出すべきだ。

 

これは、出そうと思って出さないといけない。
ほっといて出るものではない。

 

 

 

人間は、ほっといたら
足りないものや不満を捜す生き物だ。
だから、放っておかずに良い波動を出す努力を怠らないようにしよう。

 

自分の機嫌は自らとって、常に心地よく
絶好調に整えておくことが重要である。

 

 

毎日を今ある事に感謝して
ありがたいなぁ、とルンルンで過ごしていると
更に加速をつけて毎日が、幸せいっぱいになるのだ。

 

 

空が青いのも
道ばたのお花が綺麗なのも
葉っぱがキラキラ輝いているのも
みんな幸せだ。

 

 

流れる水の音や、風の通り過ぎる爽やかさや
降り注ぐ暖かいお日様も、みんな心地よく
ありがたいと思う。

 

 

幸せは自分の心が決める

幸せとは、何だろう。

 

 

どういう状況にいる時に、
人は幸せだと思うのだろうか?

 

 

いや、状況が、全く同じでも
その場が幸せと感じる人もいれば、
感じられない人もいる。

 

 

はたから見て、
ボロボロの家に住んでいて、
子供がたくさんいて、
いつも大変そうだなぁ、と思える所であっても、

 

 

その人が、
「自分はなんて幸せ何だろう!
私は、世界一の幸せものだ!」

 

と思ったとすると、
その人は、その瞬間
世界一の幸せものになる。

 

 

 

 

反対に、
人も羨むような豪邸に住み、
どんなに優雅な暮らしをしていても

 

その人が、
「こんな生活なんてカゴの鳥のようだわ、
私はなんて不幸なんでしょう!」

 

と、嘆いているならば、
その人は、間違いなく不幸である。

 


幸せとは、主観的なものである。

 

 

そう、
幸せとは、自分が決めるものなのだ。

 

 

 

だから、
あなたが、今の状況で
何も変えずに、ただそのままで

 

 

普通にそこにあるものを
幸せと感じた時に

 

あなたは、素晴らしく、幸せになる。

 

 

 

子供が笑った。
空の青さが気持ちいい。
お隣りの人と話ができた。

 

道端に咲いている花が、可愛らしくて仕方がない。

 

 

今日も起きれた。
自分の足で、何処へでも行ける。

 

 

山があり、木があり、海があり
楽園のように美しい地球に住んでいる。

 

 

 

目にするものすべてが
幸せだと感じる。

 

 

 

そういう気持ちになった時、
自分の心は、どうだろうか?

 

 

心に何の不満もなく、
穏やかで、暖かく、落ち着いている。

 

 

 

なんて気持ちが良いのだろう。

 

 

 

そう、この感覚!

 

この感覚になれるように、

 

 

目に映る、いろいろなものを見て、
心に触れる、いろいろなものを感じて、

 

 

ただただ、今が、
幸せだなぁ」 と、実感しよう。

 

 

私は、誰よりも、幸せものだ
と言おう!

 

 

 

そうしたら、
あなたは、今すぐ

 

誰よりも、幸せな人になれるのである。

 

 

 

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