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母との37年ぶりの再会

私は、6歳の時に
母と生き別れている。

 

父と母が離婚をしたのである。

 

 

 

今では、バツ1バツ2も珍しくはないが

 

当時はまだ、離婚率は今ほど高くなかったので
クラスの中でも、珍しい方だった。

 

 

父は長男だったので、祖父と
父の姉である伯母が同居していたので

 

特に苦労をしたとか、寂しい想いをした
ということは無かったのだが、

 

 

でも、母の日は大嫌いだった。

 

赤いカーネーションも、大嫌いだった。

 

 

 

母のいない子は、白いカーネーションになるのだが

 

あれは、母のいない子にとっては、いじめである。

 

 

 

それから、みなしごハッチも見れなかった。

 

胸が痛んで見れないのだ。

 

 

そんなわけで、言うにいえない想いを
引きずったまま、私は大人になっていったのだが

 

 

自分も母親になって、
初めて気がついたことがある。

 

 

 

子供とは、何物にも代え難く
可愛いものだ。

 

何人いても、可愛いものだ。

 

 

 

宝物である

 

 

その、宝物である可愛いわが子を、
置いて家を出るわけである。

 

 

どれだけつらい想いがあっただろうか・・・

 

 

 

置いて行かれた方も、つらいのはつらかったが

 

 

子供を置いて出ていく、ということは
私にはできない・・・

 

 

 

そう思った時に、
今までのことは、水に流しても良いと思った。

 

本当にそう思えた。

 

 

もし、今度会えたなら、(もう、会えることはないと思うけれど)

 

 

 

お互いに辛かったけれど、

 

良く頑張って、ここまで来たよね、と、

 

 

昔の級友のように、肩を抱き合って
再会を喜ぼう!という気持ちになっていた。

 

 

 

でも、どこで何をしていらっしゃるやら
全くわからなかったので、

 

もう、会うことはないだろうと思っていたし、

 

どこかで、元気に生きていてくれればいいなぁ、
くらいに思っていた。

 

 

 

 

ところが、である

 

 

 

運命のいたずらか、
神さまの思し召しか、

 

何が何だかわからないが、
とにかく、出会ってしまったのである。

 

37年ぶりに・・・

 

 

しかも、まったくの偶然に・・・

 

 

 

人生は小説よりも奇なり、というが
まさにそんな感じである。

 

 

今から10年ほど前の話になるが、
全くの偶然に出会ったのだ。

 

 

その日は、姉と約束をして文化会館に出かけた。

 

 

父が亡くなって100日の法要を済ませ
もう、そろそろ 外に出掛けても良いかな、と
思うようになった時の事だった。

 

 

 

 

姉の同僚の誘いで、沖縄の子供たちの
舞踊を見に行った。

 

姉は、付き合いで断れなくてチケットを買ったらしい。

 

 

そして、たまたま休みだった私も誘われというわけだ。

 

 

 

当日、会館に着いてみると
姉の同僚が、わざわざ良い席を確保しておいてくれた。

 

こっちこっち、と、うながされるままに
中央あたりの席に着いた。

 

 

 

そうしたら、前々列の席に、
しきりに後ろを気にして振り向くご婦人がいらっしゃる。

 

誰かが来るのを待っているようだ。

 

 

 

で、前々列の席の人なので
私はその様子をよーく見ることが出来たのだが

 

似ているな、と思った。

 

 

 

 

母に似ている、と思った。

 

きっと、歳を取ったらこんな風になるに違いない
という風に思った。

 

どこがどう似ているのかは、よく説明できないが
雰囲気でわかるのである。

 

 

母とは、幼い日に別れているので
ほとんど記憶がない。

 

6歳くらいなら、少しは覚えていそうなものだが
人間は極度に辛いことは、
記憶から抹殺するように出来ているのだろう。

 

 

なので、写真を見てから
こういうこともあったんだなぁ、と思うくらいで

 

写真もほとんど見ることもなかったので

 

 

本当を言えば、解るはずがないのである。

 

 

37年間も全く会っていないわけだし
顔もよく覚えていないのだし・・・

 

 

けど、
わかるのだ。

 

 

これは、すごいよね
血のつながりってすごいと思った。

 

 

こんな服が好きだろう、とか
こんな髪型にしているだろう、

 

というのがなんとなくそう思えて、

 

 

後ろから見ていただけで
母だとわかるのである。

 

 

 

けれど、なにせ感覚だけでは、確証がない。
小さい頃の思い出はほとんどないのだ。

 

 

 

私は、おそるおそる 姉に尋ねてみることにした。

 

姉は私よりも7つも年上なのだから
もっと記憶に残っているだろう。

 

 

姉の同僚が隣でしゃべっていたので
なかなか話しかけれずに、もどかしかったが

 

話の切れ間に、おそるおそる

 

「ねぇ、あの、前の前の席の人なんだけど・・・」

 

と、そこまでいいかけて、姉がすぐに

 

似てるよね」 と言った。

 

 

 

気が付いていたのである。

 

 

 

そうして、周りの人を見回していた。

 

「もし、こんなところに来るならば、ひとりではなく
妹さんたちと一緒だろうから・・・」

 

と言った。

 

母は、日舞をしていて
すぐ下の妹さん(私たちの叔母にあたる)が、踊りの家元さんだったのだ。

 

 

そうしたら、姉が
「あ〜、いるいる、○○叔母さんと、○○叔母さんもいる。
間違いないよ。」 と言った。

 

 

 

やっぱりそうか、間違いないらしい。

 

 

それからは、もう、沖縄の子供たちの舞踊どころではなくなった。

 

すごく上手な舞踊で、感動して見ていたのだが
観賞している余裕はない。

 

 

 

「どうする?ねぇ、どうする?」

 

と、二人でひそひそ密談である。

 

 

 

 

もう生きている間には、会えないだろうと思われた母が
目の前にいるのである。

 

 

この場で声をかけなかったら、たぶんもう、
会うことはないだろう・・・

 

そう思われた。

 

 

 

けれども、姉は、
「元気で生きていると言うことが、わかったのだから
それで、もういい」
と言った。

 

 

私は、
けれどもここで声をかけなかったら、もう多分、一生会えないと思う。
父も亡くなったし伯母も亡くなったし、

 

私たちも結婚して、それぞれ3人ずつ子供がいるし
そういうことを、伝えておいた方がいいんじゃないか、
というようなことを言った。

 

 

舞台の演技が終わり、皆がざわざわと、席を立ち始めた時に
姉が、す〜っと母の所に近づいて行った。

 

 

そして声をかけたのだ。

 

 

 

つづく

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